13-35 少しでも暖かい手をさしのべたい
3.11東日本大地震。その日私は東京・銀座一丁目の歯医者の治療台の上で治療を受けていた。若い女性歯科衛生士と「地震ですね」「そうですね、揺れてますね」と会話を交わした。次の瞬間大揺れに襲われた。ビルの最上階の8階。治療台から降りたものの歩けない。這いながら室内の廊下に出た。男性歯科医師2人、女性歯科衛生士2人、お客さん3人、みな床に手をついて叫んだ。「ガシャーン」と入り口付近の大きなガラス製の花瓶が倒れて割れた。あのニュージーランドの地震で崩壊したビルが頭をよぎった。天井が落ちるのか、床が抜けるのか・・・。もしかして、これで最後・・・。
ビルを出て道路から細長い隣のビルを眺めると、まだ大きく揺れている。みな心配そうにビルを眺めていた。余震は何度も何度も続いた。そのたびにビルは揺れた。携帯電話は自宅へ通じない。メールも通じない。どうしよう。
まもなくテレビで被害状況が伝えられた。東北・関東沿岸部の街々へとてつもない地震と津波が襲いかかった。帰らねば、しかし、鉄道は全面ストップ。歯科医師一人と私を含めたお客3人でタクシーを拾おうと、寒風の中、あちこちの道路で1時間以上ねばった。運よく横浜からきているという女性はタクシーを捕まえた。川越からきている女性と私は捕まえられない。歯科衛生士たちは、友達が近くを車で通るといいうことで、その車に便乗して帰れた。
「先生、お願いします。ここへ泊めてください」歯科医師は快く応じてくれた。私と川越からきている女性は泊まることにした。そればかりでなく、一人の歯科医師は、品切れのコンビニを幾つか歩きまわって、カップめんやビールまで買ってきてくれた。新宿や渋谷の駅には、電車を待つ人たちがあふれた。道路は車で渋滞し、その脇を歩いて帰る人が行列をなした。それに比べ、暖かい部屋で一晩を過ごせる自分は申し訳ないほど恵まれた。テレビでは被災地の悲惨な状況を見ながら・・・。
夜が更けるに連れ、次第にメールや電話が通じるようになり、私もやっと自宅と連絡が取れた。妻子は無事で家屋などの損傷はなく安心した。電車も地下鉄が動き出した。川越から来ている女性は、夫と連絡が取れて、夫が車で迎えに来るという。翌日午前2時半、その女性は池袋で待つという夫の元へ地下鉄を乗って帰って行った。翌朝、無事帰れたと連絡があった。私はソファーや治療台で休むことができた。翌朝地下鉄と西武線を乗りついで無事自宅に着いた。
歯科医師2人は、時間はかかるが歩いて帰れない距離でなかった。しかし、私ら患者のために心配し精一杯暖かい手をさしのべてくれた。このご恩は忘れない。
まだまだ、地震(余震)は毎日のように起きている。さらに、福島原発の故障は、予断を許さない。2万人を超える死者と行方不明者、避難者は数十万人に昇る。家は崩壊し道路は寸断し、街は消えた。今も食料もなく、寒さに震え、身を寄せながら助けを待ってる人々がたくさんいる。何ということか。
少しでも暖かい手をさしのべたい。
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