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2011年6月14日 (火)

13-40 残堀川

  あまり響きのいい名前でないのだが、我が町、武蔵村山市を流れる川「残堀川」をご存知でしょうか。言い伝えによると蛇が掘った川(蛇掘り川)がなまって残堀川になったという。西隣町の瑞穂町の小さな「狭山湖」からの流れを源流にしている。行き着く先は、立川市を流れる多摩川である。25年前ごろ本格的な護岸工事が行われて、川の流れも川辺の風景も一変した。以来、水がきれいになり、ザリガニやカルガモが住み着いた。

 10年前には川底に水が浸透しにくい土壌を敷いて、水の流れを維持する工事が行われた。言われるところによると、25年前の工事により川を深く掘りすぎて水が川底に吸い込まれてしまう。水のない川では、せっかく住み着いたカルガモが生きていけないということで、問題になった時期があったのだ。干上がってしまう川では、まだまだ魚は住みつけない。

 今回冬から春にかけて、一部の川底や護岸工事が行なわれた。梅雨になり水がさらさらと川底を照らして流れている。まだ、カルガモは少ないが、毎年子どもが生まれる。川辺の散歩者は、毎日川を見下ろしてはカルガモを見守っている。私もその一人だ。そして、きれいな水の流れにに戻ってきたのは、水辺で遊ぶ子どもたちのはしゃぐ声である。

 わたしが子どものころの50年前は、まだ村山大島紬の染色が盛んだった。この染色で使った水を川に流していたようで、川の水はいつもどす黒く汚れていて、魚もザリガニも住み着いているのを見たことがなかった。しかし、野中や林の中をくねりながら流れる小さな川辺の風景は忘れない。当時、子どもはこの川辺や、野原、林で遊んでいた。護岸、川底の工事で広く深い川になり、きれいな水が流れ、道路や公園ができ、住宅街も広がってきた。

 私は子ども時代この川辺の風景の中に身を置き、25年前の護岸工事が施工される前、この川の風景をスケッチした。平成8年3月中旬からは、愛犬と一緒に7年3カ月毎日川辺を散歩した。その愛犬は、丁度8年前の平成15年6月14日の夕刻に突如庭から消えてしまった。社会福祉士事務所を開業して3年目の出来事だった。

 それからも散歩の習慣は、大方崩れることなく今も続いている。最近は娘(小4)と一緒に散歩することもなくなったが、「パパは、子どものときから、ずっとずっとこの川や原っぱや林で遊んできたんだよ」なんて言いながらよく川辺を散歩した。もう少し娘が大きくなったら、「パパは悲しいとき、寂しいとき、そして、失恋した時、よくこの川の橋の上で泣いていたんだよ」なんてことも言ってみようか。

 

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