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2016年12月

2016年12月11日 (日)

1-5 嬉しい記念日

 昨日は散歩時に一挙に3キロほど走れた。とはいえ、走るというより歩くに近い走りであるが、それでも歩くより走る方がエネルギーをより消費する。

 ここまで走れるようになったのは、一つは散歩歴20年の成果であろう。が、もう一つは1年以上前から、少しづつ走っては歩き、歩いては走るのを続けて、走る距離を伸ばしてきたことがある。

 さらに昨日は、小説書きが進展した。1年以上前から書き続けているものを、何度か中断しても書いてきたが、それが一挙に先が見えてきたのだ。これで最後まで書き進むめどが立った。年内には完了する。継続は力なりということか。

 昨日はこの二つで嬉しい記念日としたい。一つのことを続けることで、ヤマを乗り越えることができたのだ。自身が湧いた。誇りを持てた。さらに次の山に向けてひたすら走り、書くのだ。

2016年12月 9日 (金)

1-4 書きたいことのテーマ

      書きたいことのテーマ

「最も古い記憶は何だろう」と、私は記憶の底を辿る。それは、60年余りも辿っても同じ風景であった。60年かけてこの記憶はすっかり定着したのかもしれない。あるいは、事実でないかもしれないが。 


「縁側でひーあばあさんが糸車を操っている風景」だ。ひーおばあさんは私が3歳の時に亡くなったと聞いている。私は詩や小説を書くにはこの風景から始めねばならないだろう、と思うのである。この風景に書きたいことのすべてが凝縮されているように思うのだ。
 


 
 このように記憶を辿ると、次なる古い記憶は何だろうと気になる。乳幼児期のいくつかの記憶が浮かんで来る。それはおじいさんとの記憶であり、同居していたおばさん達とおじさんとのことである。しかし、そこには、両親との記憶は何一つ浮かんでこない。なぜなのか、私は今更ながらこのことに慄然とし、涙をにじませる。
 

 
 
3歳まで私を母親代わりのように可愛がり、結婚していったおばさんのこと。
 
5歳児から幼稚園に通い始めた頃のおじいさんとのこと。
 小学校2年まで私を可愛がり、結婚していったおばさんとのこと。
 
そして、精神障害を患っていたおじさんとのこと。
 


 
私はこれら乳幼児期の記憶に両親が出てこないことを意識しだしたのは、詩や小説を読み始めた19歳の時であった。それまで、なぜ自分は時々寂しく、悲しくなり、頭痛を伴って涙を流すのか、わからなかった。

 

 でも本を読み始めてわかった。それは「両親への愛着が薄い」ということが原因だと、探り当てた。そう、この頃に詩人になろう、小説家になろうという夢が芽生えもしたのだ。 


 
「両親への愛着が薄いことでの寂しさ、悲しさ」が書きたいことのテーマになるのかもしれない。

2009.2.9 

 

2016年12月 8日 (木)

3-3 草食系男子

  

                     草食系男子 

 

靖男は年前から実家を離れ、隣町のアパートで一人暮らしをしている。幸い福祉の相談業務の仕事は安定し、お金に困るわけでもない。料理もそれなりにできる。

しかし、三十八歳にもなって女性に恵まれない自分を情けないと思う。父母からは、「一人息子のお前が結婚しないと家系が成り立たない。孫も早く見たい」と責めたてられる。最近は女性を嫌いなのではないかと疑われている。

実のところ何度も女性との交際をめざして、彼なりに対策を立てて実行してきた。職場では何人かにアプローチしてきたし、上司も紹介してくれたこともあった。数年前からは合コンにも参加している。

だが、ことごとく失敗に終わっている。彼が相手を希望しても、相手が最後まで彼を好んでくれない。それでも合コンは続けている。最近は女性から興味さえ持たれなく、彼自身も積極的になれる女性は、一向に現れなくなってしまった。しかし、なんとか四十歳までには結婚したいと思う。焦れば焦るほど女性に対する関心は、薄れるどころか深まるばかりであった。

ところがそんな状況が変わりだした。靖男はある土曜の午後、行きつけの図書館の閲覧室で本を読んでいた。座席は次第にふさがってきたが、隣の席は空いていた。

「ここ空いていますか」と後ろから女性の声が聞こえて来た。

振り向いて靖男はありきたりに、

「ええ、空いていますよ」と答えた。

その時、彼は彼女から二度の視線を受けた。最初は凝らした視線、二度目は会釈を添えての微笑んだ視線。彼はその視線に魅せられ心臓が高鳴って来た。「もしかして、自分に関心を持ってくれるかもしれない」とさえ思い始めた。

靖男は隣に座った女性に気付かれないよう、さりげなく女性を観察しだした。このため読んでいた小説は一向に頭に入らなくなった。

週間後、同じ時刻に閲覧室の席に座ってそれとなく彼女を待った。すると彼女がやって来て、靖男のテーブルの前に座り向き合った。互いに目があって会釈した。彼女の笑顔と視線は一週間前と変わらない魅力を発した。

その後、何度か館内で見かけ、どちらともなく話しかけては会話を楽しむことができた。閲覧室では話ができないので、いつしか入り口近くのソファーが指定席になってきた。

彼女の名前は雪子と言い、偶然にも靖男と同じ福祉関係の仕事で話しが弾んだ。彼女が図書館に来ているのは、ケアマネジャーの受験勉強と言う。歳は三十代前半のようだ。

 やがて靖男は雪子をデートに誘いたい思いが湧いてきた。彼女も彼の思いを受けるように話をすることが多くなったと、靖男は受け止めた。でも、ヘタにデートに誘って、むげに断れてしまうことを恐れて言い出せない。

 先日の土曜日だった。話が弾んで靖男は何気なく誕生日のことを口にした時に、雪子は表情がみるみる和らぎ、あの魅力的な笑顔で視線を向けてきた。彼女も喜んで自分の誕生日を教えてくれた。こんなことがあったので、今日の誕生日にはプレゼントでもあるかもしれないと、朝から期待が膨らんできたのだ。

 午後、図書館にわくわくした気持ちで出かけると、雪子が先に来ていて、靖男に気付くとにこにこと近づいてきた。彼は暖かい気持ちで迎えたが、予想に反して、誕生日の「おめでとう」もプレゼントもなかった。彼は「やっぱりダメか」と、気持ちがすっかり沈んでしまった。

 帰る時間になると、帰り支度を終えた雪子が近づいてきた。彼女は靖男を見詰めて「今日は暇なんだ」とぽつりとつぶやいた。彼は「もう少しここにいます」とそっけなく答えた。それでも玄関まで送った。彼女は二、三歩進んで戻り、バッグから小包を取り出して、

「バカね、あなたは草食系よ」と言って小包を差し出した。

「え?」

「でも、いいわよ。はい、誕生日、おめでとう」とくすくす笑いだした。

靖男は小包に結わかれた赤いリボンを見詰めて、満面の笑みを浮かべた。

「待ってください。今、荷物を持ってきます。一緒に帰りましょう」

2016.7.25

2016年12月 7日 (水)

3-2 三本榎の人々

 

    三本榎の人々   

 

ヒデ爺とサヨ婆は夫婦仲が良く、近所の人々の間で評判であった。人々は榎町の史跡公園にあるベンチに集い、いつも二人を話題にしていた。

 

公園は大きな榎の木の枝で覆われ、古くからこの地は「三本榎」と呼ばれている。かって旅する人々の休憩所として、三本の榎が植えられたと言われる。二キロ西には、「二本榎」の木もあり、その先の隣町には「一本榎」の史跡もある。

 

元気だった二人は八十歳を超え、次第に弱くなり三本榎に行けない日が多くなった。隣近所の人たちは野島民生委員と協力して、時々自宅を訪ねては二人の様子を伺った。

 

今年も新年が明けると寒い日が続き、三本榎に集まる人も少なくなってきた。そんなある日、ヒデ爺は重い肺炎を起こして街の病院へ入院してしまった。サヨ婆はもともと脳梗塞後遺症による半身麻痺であるが、足を引きずりながら毎日世話に通った。近所の人々も入れ代わり立ち代わり、見舞いに行き「早く元気になれよ、三本榎で待ってるよ」と励ました。しかし、人々の間では「危ないね。長くないかもしれないね。いい人なのにね」と口々に心配しあった。

 

あれは大寒が過ぎた頃、ヒデ爺はサヨ婆を枕もとに呼んで、息絶え絶えに話した。
「婆さんや、おらーお前と生きて来て幸せだった。ありがとうよ。お前を残すのが心配だけどな、先にあの世に逝く。あの世でもお前と一緒に暮らしたいんだ。あの世の三本榎の下で気長に待っているからな。いいな、三本榎に来るんだぞ」 

「あいよ、爺さんや、嬉しいよ、あたしもすぐ逝くから」と笑顔を向けた。 

「いいか、もう一度言う。お前は忘れっぽいんでな。間違えるなよ。三本榎だぞ」と念を押して言うと、安心したように眠りについた。そして、しばらくして息を引き取った。

 

 二人に子供はいない。兄弟姉妹はすべて亡くなっている。近所の人々はそんな事情を知っているので、野島民生委員とみんなで自宅に集まり葬式を行った。 

「ヒデ爺はいい人だったよ。サヨ婆はひとりで寂しいだろうけど、あたしたちがついているから、気をしっかり持ちなよ」と励ました。

 

 それから数年、サヨ婆は近所の人々とホームヘルパーに支えられて暮らしていた。しかし、寒い冬のさなか、サヨ婆もヒデ爺と同じように肺炎になり入院してしまった。

 

人々は「もしもの時には、ヒデ爺さんが待っている三本榎へ逝くんだよ。あたしたちも後から逝くからね。そこでまた、みんなで仲良く暮らそうよ」と祈ってくれた。サヨ婆もそれにこたえるように夢うつつの中で、「三本榎、三本榎」と何度もつぶやいていた。 

 

数日後サヨ婆は、野島民生委員と近所の人々に囲まれて、あの世に旅立った。しかし、サヨ婆の魂は思いもよらない方向をめざして飛び立った。到着したところは「二本榎」だった。 

 

そこで待っていたのは、 

「待ち遠しかったよ。あんたは十五の時の初恋の人だ。現世では一緒になれなかったけど、あの時の約束通り待っていたよ」と、しわくちゃの笑みを浮かべて、サヨ婆を迎えたのは同級生のトシ爺であった。 

「待たせたよ、嬉しいよ。あの世へ来てもヒデ爺と一緒なんて、つまらないよ。別の人がいいよ」と苦笑した。

 

 その後、あの世の三本榎に人々は次々と集まり、まだ若いのに野島民生委員も来た。 

「あたしは癌であっという間に来てしまったよ。ところで、ヒデ爺さん、サヨ婆さんはいないのですか」と野島民生委員は訊ねた。

 

近所の人々は「あの二人はなー」と言って、クスクス笑いだした。 

誰彼となく言い放った。 

「ヒデ爺さんが一本榎の根元に座り込み、そわそわしていたのを見かけたぞ」 

「やっぱりね。一本榎で老人ホームに入ったキミ婆さんを待ってんだろう」 

「まさか、キミ婆さんは、あたしにはここ三本榎に来ると言っていたわよ」 

「ウソだよ。ここには来ないよ。サヨ婆さんには秘密だけど」 

「そうそう、ヒデ爺さんは、キミ婆さんと老人ホームでよく会っていたんだよ」

 

 人々は、今日も三本榎に集まって大笑いした。

 2016.8.22

1-3 たった10分だけ書きましょう

  たった10分だけ書きましょう

たった10分だけ時間を下さいと内なる作家に呼び掛けて、もしも応じてくれたら明日素敵なご褒美をあげると約束して、今こうして書き始めたのだ。そしたら、作家さんは満面の笑顔を浮かべていままで書きたくないといっていたのに作家であることをすぐに取り戻してしまったから不思議だ。


 
 そうなんだこれでよいのだ。書き始めれば進んでいくのだ。それは散歩にも似ていることなんだ。毎朝の散歩のことだよ。作家さんは散歩が好きで毎朝出かけるが時々、行きたくないという思いに襲われるが少しでも歩いてこようと出かけるや否や、なんて散歩は素敵なんだとすぐに心変わりするんだ。


 
 そうなんだ、それだけのことなんだ。歩き出すこと、書き出すことで自分を取り戻せるのだ。歩きたくない、書きたくないという思いが募ってもはじめてしまえば前に進むことができるのだ。それは何もむずかしいことではないのだ。歩くことは誕生と同時に目指していることなんだ。書くこともきっと同様に誕生と同時に目指してきたことなんだから、書くことは生きることであるのだ。生きることの日常に書くことも含まれているのだ。


 
 これでもう10分以上過ぎたよ。作家さん。書けるじゃないか作家さん。さあ、明日もこんな調子で自由にのびのびと気楽にとにかく書こうよ。ところで明日のご褒美というのはなんですか。それは書くこと以上に大好きな庭仕事をしてもよいということですよ。では、寝る時間がやってきました。これだけ書けたのだから何も心配しないでゆっくり休んでください。明日、お会いしましょう。お休みなさい。

2010.10.1

2016年12月 6日 (火)

3-1 緑のカーテン

           緑のカーテン 

五月の大型連休が過ぎると、陽の光は次第に夏のように強い陽射しに変わる。まだ、5月と思いながらも、エアコンをつけて部屋を冷やしたくなる。

「パパー、暑いよ」

友だちと遊びまわって帰ってきた娘の香菜(小学五年)は、リビングに入るなり叫んだ。まだ陽は高い。出窓に照りつけた陽の光がまぶしい。

「きょうは蒸し暑くなってきたね。夏のようだ」と、直光は応じた。

「パパ―、エアコンつけていい?」

その時だ。妻の由梨がすかさず独り言のように隣のキッチンでつぶやいたのは。

「今年も夏には節電しようね」

直光と香菜は、お互いの目を見て小さな声で「ええー」とうなずきあった。昨夏の徹底した節電に辟易したことが脳裏をよぎった。だが、反対することはできそうにない。由梨の強弁には所詮かなわない。

 

昨夏は東日本大震災・福島原子力発電崩壊の影響で、電力不足が予想され各家庭でも節電が求められた。由梨は昨夏には徹底した節電に取り組み、例年の電気料を半減させた。それに気をよくしてか今年の夏も、昨年ほどの節電は求められていないにもかかわらず、同様の節電を実行しようとしているようだ。

節電の中心はエアコンを使わないことになる。昨年はともかく、今年も冷房なしで暑い夏を過ごすことになりそうだ。このほか昨年は、照明をこまめに消し、電化製品のコンセントを使わないときには抜くことなど、由梨は細かく指示し監視していた。今年もその監視の下で暮らさざるを得ないことが、直光と香菜には何とも窮屈でたまらないのだ。

そう思うと今から気が滅入る。長期天気予報では、この夏は暑さが例年以上に続くと言われているし。

 

「パパ、今年は窓の外へゴーヤを植えて緑のカーテンを作ろう、とママが言っていたよ」

香菜は由梨の代弁をして、二人の仲を取り持つ役割を数年前から身につけている。

「それはいいね、そうすればエアコンに使う電気をさらに節約できるね。パパも賛成だよ」

しかし、庭のその場所には、春から夏菫が群生していた。直光はそれを毎日のように見守り除草し、晴天続きの時は水やりを欠かさないで育ててきた。夏菫はそんな直光の期待にこたえてすくすくと伸びて、今を盛りに咲いている。一階の部屋に緑のカーテンを張るには、ゴーヤはそこに植えなければならない。

どうしたものか。もし「ゴーヤの種を蒔くところに、夏菫がたくさん咲いているのだけど・・・」と、由梨に言ったとしたら「じゃーいいです。ゴーヤの種は蒔きません」と一言で片づけられてしまう、と直光は予測した。

このようなことで二人の意見を調整して決めていく過程は、もう数年以上前から存在しないのだ。由梨はいつも一人で決め、意見の違いは調整なく、「そっちはそっちでやって、あたしはあたしでやるから」と、直光は突き放され、その後そのことについて、無視・無関心を続けられることになってしまう。このようなことがいかにたくさん積ってしまっていることかと思うと、内心激しい怒りが込み上げてくる。

 

されどもやはり、「夏菫をほかに植え変えよう。そうすると元気をなくしてしまうことは明らかだが、ゴーヤを植えるにはここしかない。そうしないと由梨自身が、黙って夏菫を引き抜かざるを得ないことになる。それは、由梨にとっては耐えがたい行為になってしまうだろうし、直光としても黙って引き抜かれることに気分を壊される。

そんなことになるのは、望まない。それより、直光は私が植え変えておけば、由梨も喜んでくれるはずだと思う。が、ほんとにそうなるだろうか、という一抹の不安が残る。由梨は直光の行為に感謝できるのか。いや、そうならなくともゴーヤは、ここに植えなければ緑のカーテンは作れないのだから、そうするのがいいのだと自分に言いきかせた。

二日後の土曜日、由梨は半日ほど買物で外出すると言う。きょうも晴天で蒸し暑い。直光はこのすきを狙って、夏菫の一苗一苗を丁寧に掘り起こして、半分以上を鉢や庭の隅に植え変えた。いい汗をかいた。気分爽快だ。今夜はおいしいビールを飲めるぞと、満足した。

「香菜、庭に来てごらん、パパ、夏菫を植え変えたよ」

「ほんとだ。わー、みんなかわいいね。枯れなければいいね」

「大丈夫だよ。ちょっと元気がなくなるけど、すぐに盛り返してくるよ」

「この辺りにゴーヤの種を蒔くの?」

「そうだね、この窓に沿って蒔けばいいよ。ママに言っておいてくれよ」

「うん、言っとくよ」

 

 それから二週間が過ぎ、六月になり既に梅雨入りした。梅雨の晴れ間は二~三日はあったが、一向にゴーヤが植えられる気配はなかった。直光は香菜にそれとなく確かめた。

「香菜、ママは庭にゴーヤの種をまだ蒔いていないようだけど、どうしているのかな?」

「あのね、ママは二階のベランダにキュウリなどを鉢植えするのだって」

「え、そ、そうなのだ。それはよかったね。二階は一階よりも暑くなるからね」

「パパ、せっかく夏菫を植え変えたのにね。最初ママは、ゴーヤを庭で育てたいと言っていたのだけれどね。仕方ないね」

「うーん、仕方ないね」

直光はしばらく悶々としていた。

「香菜ね、ゴーヤはパパが蒔くよ。ゴーヤを育てる楽しみをママからいただいたことにするよ」と自分に言い聞かせた。

 

 次の朝、直光は目覚めが悪かった。由梨と香菜がいる前で、由梨に思い切って訊ねた。

「庭にゴーヤを植えると言っていたのではないの?」

「言ってないよ」

由梨は顔を上げることもなく応えた。直光は室内を一巡して、再び尋ねた。

「俺も香奈も勘違いしたのだ」と言い流した。

香菜はこちらを見て軽くうなずいた。

由梨は下を向いたまま沈黙している。

2013.1.27

1-2 虎ノ門の女

            虎ノ門の女

午後は雨になるという。昨日吹きまくった冷たい北風は嘘のよう。虎ノ門駅・地下の階段を出た路上には、湿り気のある生温かい風が吹いている。オフイスを出た女性たちは上着なしで行き交う。斜め前からの胸は小刻みに波打つ。斜め後ろからの腰は左右にたゆとう。先ほどから私はスターバックスのテラスの椅子から眺めている。光明はこの先の出版社に行く時には、必ずここで休むことにしている。


 残る余韻と前を行く女性たちが、昨夜の雪枝の姿を呼び戻す。雪枝が上着を脱いだ時、情事が終わりシャツを着た時、私はソファーから胸から腰に、腰から胸に視線を滑らせて眺めた。雪枝は「いやねー、むこう向いてて」と、上着を脱ぐときも、シャツを着る時も同じ言葉を返して後ろを向いた。その時、胸は揺れ、腰は左右にたゆとうた。


 「今夜は寒いけどね、光明さん、明日わね、暖かくなって、午後には久しぶりに雨が降るようよ。上着なしで街を歩けるかもね、光明さん、早くこっちへ来て・・・」ダブルベッドの布団の先から雪枝の声が漏れてきた。「僕は嬉しいよ。上着を脱いだ女性が街を歩いている姿が久々に見られるからね」と、笑いながら応えた。

雪枝は「今、私の上着を脱いだ姿を見たでしょう、あとでまた見せてあげるわね、しょうがない人ね」

 

2010.1.28 

2-6 玄関扉のこだま

            玄関扉のこだま

  その朝 「行ってきます」 玄関扉のこだまは帰らない
  ・・・・・・・・・・・(聞こえない) 
  今夜はいずこに帰れるか 街角で空虚に行き戻る   

  その日の深夜 「ただいま」 玄関扉のこだまは帰らない
  ・・・・・・・・・・・(聞こえない)
  君を灯すスイッチが今夜も見えない

  がたん ごとん ごそごそ がたがた
  ・・・・・・・・・・・(聞こえない) 
  今夜も君の耳元へこだまする音もない

  その翌朝 「おはよう、昨夜遅くなって・・・・」
  ・・・・・・・・・・・(聞こえない)
  「行ってきます」玄関扉のこだまは帰らない 

  今夜も街角で

 2010.1.14 

 

2-5 詩人になってるよ

 

      詩人になってるよ

 30歳になったら詩人になってるよ と
 20歳の時にそうおぼろげに信じた
 時は一瞬に過ぎた
 今 私は疑うべくもない60
 20歳も30歳もあまりに遥かな過去の世界になった
 
 それでも懲りずにおぼろげに
 今 私は 70歳になったら詩人になってるよ と
 ハ ハ ハー だ お見込みのとおり
 30歳 40歳 50歳の時も
 いつも10年先 詩人になってるよ と

 私は一生詩人になれない
 詩人になろうと思ってる人にはなれたが
 20歳から60歳まで詩なんかどうでもよかった
 詩を書かなくとも何とかこして生きてきたではないか
 何故なんだ 10年先は詩人になってるよ とは

 枯れゆく生 いとおしい自然と自分
 一瞬に過ぎた時とはいえ
 なお 詩人になってるよ と
 今度こそ ここに新たな生を
 自然と自分が織りなす光と影を見つめよう  

                          2010.1.7

2-4 敵は過去

        敵は過去

  

今、過去の自分が最大の敵になる

敵に焦点を当てよ

過去は時と共に偉大になる

過去は時と共に懐かしいものになる

過去は時と共に前進を止める

 

今、過去の自分が最大の敵になる

敵を撃退せよ

 

今、過去の自分が最大の敵になる

敵に別れを告げよ

 

過去の自分が、自分と分かちあうまで 

 

その時、過去の自分は、最大の味方になる

その時、過去の自分は、豊かな今をたらす

                2013.1.20 

2-3 君がいると

      

      君がいると

君がいても

君と歩きたくないという思いが募る

でも こうして君と歩いている なぜか

足を引きずり 引きずり 歩いている

涙がとめどなく流れる夜も

朝に「おはよう」を言うことがなくとも

雨降る日の路地裏をでかけるように

僕は君の手をとって歩きだす なぜか

君の声にこたえることができなくとも

毎日が「おやすみ」で終わることがなくとも

でも 僕はこうして君と歩いている なぜか

君の声を聞き 君のほほえみを見たいがために

君がいると 一緒に歩く いつまでも

                   2013.1.11

2-2 大きくため息ついて

大きくため息ついて


あーあ そうそう
遠くのその先を見つめ
ため息ついて あーあ
も一度 遠くの先を見つめ
ため息ついて あーあ
あそこまで行けるはずないじゃん
あーあ

 

も一度右の七行を繰り返して

 

最後に 大きく息を吸って

あーあ そうそう

遠くのその先を見つめ

大きく ため息ついてー

 

よーし 行ってみようか

 

     2013.1.9

2-1 積み木の希望

 

積み木の希望

高い 高い まだまだ倒れないよ

倒れたら また積み上げよう

違う形で積み上げてみよう

やめることなく また積み上げよう

なんどでも 積み上げてみよう

積み上げて 積み上げて 天まで届けー

そしたら希望が降りてくる

 

小さな娘よ 積み上げて 積み上げて

高く 高く 伸びろ―

倒れても 積み木を積み上げるように

高く 高く 伸びろー

倒れても 倒れても 伸びろー

積み上げて 積み上げて 伸びろ―

そしたら希望も降りてくる

 

積み木よ 伸びろー

娘よ 伸びろー

倒れても 倒れても 積み上がろう

積み木よ 娘よ

積み上げて 積み上げて

高く 高く 天まで伸びろ―

そしたら希望は降りてくる

 

       2013.1.8

 

 

 

1-1 四十路の女

「聞いてよ」

「聞いてるよ」あのことだとすぐに分かる。

「またか」
「またよ」


 朝が過ぎた頃、たいした付き合いでもない
四十路初めの女からの電話。長々と聞く。

 彼女は女二人でアパートに暮らす派遣職員。仕事は夕方から深夜まで。寝るのも起きるのも遅い生活。

「ガタ、コト、ジャー」眠れない。

 隣室の母子家庭の20歳前の息子が、深夜入浴時に立てる物音がうるさい

「ガー」うるさい。まだ、目覚めない早朝から、母は毎朝掃除機をかける。

 なんでこんな四十路女を苦しめるのか。二人とも非常識。

 息子は引きこもり状態。母親は昼間働いている。

 不動産屋から注意してもらったが効き目がない。今日は役所の保健師に訴えた。もう半年以上続く。怖くなってきた。

「気を付けろよ。こじれると危ないぞ。明日会って詳しく聞くよ」

「え、会えるの。わかった。ありがとう」

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