カテゴリー「9 春の陽光(終了)」の7件の投稿

2005.05.05

9ー<7>金色の西日

 「ママに何かお土産を買っていこうか」 「うん」元気な返事が帰ってきた。 「何がいいかな、これなんかいいかな」黄色い下地にサザエさん一家が描かれている。エプロンである。娘(3歳8ヶ月)はなぜか黄色が好きだ。 「これ着てもらって、おいしい物をつくってもらおうよ」 「うん」さらに元気がよい。  

 きょうは娘と2人で「長谷川町子美術館」に行った。1階奥にある狭い売店にニは、記念品が売られている。娘は自分では、ボールペンを選んだ。 ママは連休なのにきょう一日仕事である。ママが帰る30分前に帰宅した。娘は「もう、ママ、帰ってくるー」と聞いて、玄関にお土産袋を抱えて座り込んだ。その小さな娘の姿に、金色の西日があたっている。

 「もし、立川ですよ。ここで降りるのではないですか。」前の座席に座った中年男性が声をかけてくれた。終点の立川駅についても、私と娘は眠り込んでいた。私はあわてた。 「おい、起きてくれ、降りるんだよ。」娘に声かけをしたが、娘は何が起きたか分かろうはずがない。突然、起こされてぐずり始めた。でも、親切に声をかけていただき助かった。あわてて娘と荷物入れを抱きかかえて、電車を降りた。駅には行楽帰りの人々が渦を巻いている。そこを縫って切り抜け、駅ビル内の椅子に座り込んだ。娘はしばらく寝転びながら、自分の心身が覚醒するのを待っている。

 いつも思う。この子が30歳の時には、私は80過ぎなんだと。だから、日々、抱っこしても、おんぶしても力が沸いてくることを。  

 桜新町の駅から、美術館まで娘の足だと20分かかった。商店街の道には、サザエさん一家の絵が描かれている。そして、美術館を出て、4月から週1回非常勤講師をしている大学まで、ほとんど娘をおんぶして10分程度歩いた。娘も喜んで、来る途中大きなビルを見て「あそこより学校は大きいの」と興味を示してくれた。 「ここが、パパが仕事をしている学校だよ」と言っても、閑散とした学校には興味がない。それより、先ほど見ていた大きな桜の幹のヤニの方が気にかかっているようである。 「これは虫さんのごはんだよ」と、誰に教わったのか、しきりに私に教えてくれる。「そうか、まあ、ここまで来れてよかったよ。写真を撮ろう」

 美術館を出て、入り口前で写真を撮ろうとしたら、自転車に乗って休憩していた男性が親切に「写真撮りましょうか」と言ってくれた。うれしいことである。この写真はきっと大切なものになる。そして、次に行ってみる大学で撮る写真も、娘にとってかけがえのない貴重な1枚になることを祈る。 「パパが、働いている学校だから。疲れたけど行ってみよう」ここまで来て行かなかったら、もう来れないかもしれない。「うん、行くよ」私はうれしくてたまらなかった。    

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2005.05.04

9-<6>連休は娘中心の展開

 昨日は、多摩都市モノレールに乗って、終点の多摩センターで下車した。なにやら商店街通りに沿って、無数のテントが並んでいる。障害者団体などがバザーを開催しているようで、人がごった返している。

 朝から大騒ぎである。「早く行こうよ、早くー」を連発している。きょうは娘との約束で多摩センター駅近くの 「サンリオ・ビューロランド」(キティーランド)へ2人で行くことにしていた。1年振りである。いくつか前の駅は「多摩動物園」である。ここで降りる家族連れも多かった。

 うちの娘は、でこぼこフレンズ、アンパンマン、しまじろう、キティー、トトロ、サザエさんと興味をつないできた。サザエさんと、トトロはビデオに撮って、何度も何度も見ている。だから、ストーリーはよく覚えている。しかし、意味はまだつかみきれない。他にもいろいろ放映されているようだが、時代は古い(私が古いので)が、トトロの森、サザエさんの話には、戦いがないからよい。トトロの森は豊かな自然との語らい、サザエさんは家族・街の人々との愉快な語らいがすばらしい。どちらも、優しい気持ちが根底にあふれている。

 トトロの森に出てくる森のモデルは、東村山市あたり(八国山あたり)の狭山丘陵である。その近くの病院や老人ホームには、後見の仕事でいつも出かけている。狭山丘陵の連なりは、私の住む武蔵村山市の北側にも続き、さらに西隣の瑞穂町までなだらかに続いている。だから、映画の風景は私の子供時代のこの辺の風景そのものであることが、よく分かる。狭山丘陵のことは、機会を見ていろいろ書きたい。

 サザエさんの「長谷川町子美術館」が、世田谷区桜新町にある。明日は、娘をここに連れいていこうかと思う。電車を乗り継いで2時間かかる。大学の授業に出るようになって、この道を通る。そうだ、大学にも娘を連れて行ってみようか。

 巨大なキティーの建物を出ると、娘は「まぶしいよー、お日さまはあっちへ行ってよ」なんてわめき散らしている。
 この時期の春の陽射しは強く明るい。幸いにも雲も多く陽射しを適度にコントロールしている。ここは多摩丘陵の尾根に位置しているためか、風は不規則に強い。しかし、まだ蒸し暑くなくさわやかである。

 キティーの部屋に行き、キティーと3人で記念写真を撮ったが、きょうは、娘の興味はバザー会場にある7センチ四方の木っ端の積み木(?)であった。大きな木の下の木陰は涼しく、同年齢の子どもたちもたくさん遊び興じていた。娘は興味があることだと延々と続けてしまう。私もそうだが。だから、私は早めに「帰ろう、帰ろう」を連発しなければならない。

 きょう娘は、妻と2人で昭和記念公園に出かけた。やはり「早く行こうよ、早くー」を連発していた。
 さて、私はきょうはどうしようか。娘がいない留守に、静かに本や書類の整理でもしようか。
 それにしても、どうやら、連休のほとんどは娘中心の展開になりそうだ。

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2005.05.03

9-<5>花ある君と思いけり

 昨夜は中学時代の友達夫婦3人で、大塚の駅の近くで飲んだ。明日は娘(3歳8ヶ月)を遊びに連れて行きたいこともあり、最初から最終電車に乗る大決心をしていた。いつもこう決心をしても、友達は本気にせずに、ホテルに泊まってしまったり、始発電車で帰ったりしていたが、「娘のため」と言ったら、さっさと帰してくれた。

 2軒目は、カラオケスナックに入った。友達は常連であり、私も2~3度来ている。
 
 中学2・3・年、高校1年の頃は、いわゆる御三家の時代である。私は舟木一夫が大好きなのだ。中学2年の時、早朝新聞配達をしながら、デビュー曲の「高校3年生」をよく口ずさんでいた。その後のヒット曲もほとんど今でも歌える。しかし、カラオケに親しんだのは30代の頃であり、40代以降は余り人前では歌ってなく、最近は声量も衰えてきて満足に歌えない。それでも、歌わずにはいられない。

 友も私も島崎藤村の詩が好きだった。藤村といえば「若菜集」にある「初恋」を知らない人はいない。この初恋を、私らが20歳頃の時に舟木が歌った。その詩文は(漢字が違うかもしれない)

     まだ 上げ初めし 前髪の 林檎の下に 見えし時
     前にさしたる花ぐしの 花ある君と思いけり      

 友が言う「こうちゃんもいればな」と。今度「こうちゃん(24歳のときに自殺した友)が入院(精神病院)していた病院のある山に行かないか」こうちゃんは、入院中にこの山の中で、草木のスケッチをたくさん残している。絵が好きで美術学校を目指していたが果たせなかった。私たちは3人とも、大学受験に失敗して受験浪人をした。その頃、3人で何度か会っていた。ラジオから「初恋」の歌が時々流れていたのを私は覚えている。

 今、後見人の仕事の関係で、年数回この病院を訪問している。生活保護ケースワーカーをしていたときにも、何度か来たことがある。入院していた頃、こうちゃんを一度訪ねて来たこともある。もう30年以上前である。当時面会した部屋はないが、周囲の山は変わらない。私は病院への山道を歩きながら、「あのスケッチは、どの草の花だろう」と思う。
 
 きょう、飲みはじめた夕暮れ時には、まだ、雲の切れ目から時折店の窓越しに陽の光が差し込んでいた。その光が消えた頃、人々は華やぎはじめた。

 よかった。「舟木一夫ショー」を開催できて。また、やろう。
 酔いも回り、そろそろ時間も迫ってきた。
 友と駅まで歩いた。しかし、まだまだ、街のネオンは明るいが。

 今年は私の庭の林檎の木にもよく花が着いた。その小さな白い花びらが、月の光にほんのりと輝いていた。
 
     「はーなあーるきーみと おーもいいーけりー」

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2005.05.01

9-<4>ベンチの上の記憶

 さわやかな風が新緑の雑木林を抜けていく。
 昨日の早朝、新緑の桜並木のトンネルを風とともに小走りに走り抜けた。
 1キロメートルほど抜けて、並木を折り返した。
 大きな幹の横にある、コンクリート作りのベンチに仰向けに寝転んだ。
 硬くひんやりとした背中への感触がとても気持ちよい。
 しばらく新緑の天井から漏れる朝の眩い陽光に目を合わせていた。

 すると、思いがけない記憶が蘇ってきた。

 開業前、勤務していた頃だ。仕事中に、こんな一日の日程にならないものかと、夢のようなことをよく思っていた。

        朝 6時起床、9時~12時は仕事 
         12時~2時が昼食 
            2時~4時が再び仕事    
                4時からはすべて自由気まま

 わはは、みどりの天井に向けて思わず笑った。そうか、あの頃の夢が実現しているのか。

 自宅開業の自由気ままな仕事振りとでも言えなくもない実感。これを、この連休中に味わいたい。決して暇ではないのだが、気持ちは大いに緩めたい。
   
     「そう、こんな時間を時々作ることが、とても大切ではないか」

 明日は仕事で特養と病院に出かける。すぐに終わる。
 夜は、都心に住む同級生に会いに行く。また、右手にマイク、左手にグラスを持って、思い出の歌謡大会を開催することになる。もちろん私のほうが歌は上手だ。

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2005.03.28

9-<3>穏やかな春の日の一日

 昨日は一日穏やかな春の日であった。私は久々に夕暮れ前になって庭に出た。まだ、陽射しはある。3歳半の娘も外に出るのが大好きで、私の行動を察知して、「あたしも行く・・・」と、一緒に出た。

  「パパ、何して遊ぶ!」
  「パパは、草をむしるんだよ、ほら、一杯生えてきてるだろう」
  「あたしも手伝う」
 
 霞がかった淡い陽の光が、庭一面を包むように照らして、暖かい空気が漂っている。そんな中、ラッパスイセンの花が気持ちよさそうに口をあけてまどろんでいる。
 
 最近は仕事に追われ続けている。4月からの新たな仕事の準備や、3月中には終わっておきたい仕事もある。でも、なかなか追いつかない。まもなく桜の咲く時期にもなりかねない。

 しかし、思うのである。こんな暖かく穏やかな春の日に、外に出られないことでは、働く意味が薄れると。一生懸命働くことは、その対価として、したいことをできるということでなければない。なんて・・・、こんな理屈をも考えて、我慢出来ずに庭に出たのだ。
 
 一昨日は、老人保健施設を訪ねた。そこには、アルツハイマーで長期に入所している被後見人の女性がいる。その方が、特別養護老人ホームへ入所できることになり、そこの生活指導員が事前面接を行うと言うので、私も出かけていった。今は寝たきりで、声かけしてもわずかな反応で応えることしか出来ない。彼女はベッドサイドに射し込んでいる陽射しを浴びて、気持ちよさそうにうたた寝をしていた。

 その前日の金曜日の午後には、東京都老人保健施設協議会支援相談員部会の学習会に呼ばれて、御茶ノ水まで出かけた。成年後見活動の実際などを2時間半話した。
 成年後見人は、本人の法定代理人である。本人その者という立場で、五感を働かせ、考えて発言しなければならない。つまり、権利擁護の視点で弁護(アドボカシー)していくことになる。

 利用者として、次の老人保健施設の現状は、大問題であると思う。例えば、施設の機能と入所理由・目標が一致しなければ、まともなケアプランは出来ようがない。このことは、すなわち介護保険システムが正常に機能していかないこととみなければならない。機能しないことは、利用者に不利益をもたらすことになる。やがては、権利侵害をも発生しかねない土壌を醸成していくことにもなりかねないと、危惧せざるを得ない。

 本来老人保健施設は、基本的に3ヶ月でリハビリを終えて在宅に戻るのが機能である。が、ほとんどが特別養護老人ホームへ入所が出来ないための待機施設になっている。さりとて、ここに長期に滞在するのも、制度上問題になる。この場合、別の老人保健施設へわざわざ移っていかねばならない。施設によっては、最初から特別養護老人ホーム入所待機理由の方は、入所させないようにしているところもあるという。そうすれば、施設の回転率が上がる。だが、このことを追及するのも、現実には容易ではない。
 
  娘はまだ庭に居たいという。赤ん坊の頃から、外が好きなんだ。無論、私も賛成だ。
 
  「パパ、車も洗おうよ」
  「うん、えらい、そうしよう、そうしよう」
 
 妻と娘は午前中から午後にかけて、おにぎりをもって羽村動物園に行ってきた。私は行けなかったので、その話を娘はたくさんしてくれた。よかった。こうして過ごす時間を作れてよかった。庭にはまもなく夕暮れが訪れた。

 深夜になっても穏やかで暖かい空気がゆったりと流れている。外は朧月夜である。

 一夜明け、さて、きょうは春雨の一日になりそうである。きょうが締め切りの、財産目録・収支状況報告書を作成し、家庭裁判所に送らねばならない。雨の日は事務所にこもるのがふさわしいかもしれない。提出したら、忙しくても、また、好きなことで過ごせる時を持とう。

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2005.03.13

9-<2>雑草採り

 今年も庭の芝生の間に生えてくる雑草との戦いを宣言する。戦いは3月から9月まで続く。雑草は抜いても抜いても出てくる。勝負は春から始まる。春から戦わないと、梅雨までにはすっかり育ってしまう。そして、梅雨の時期に栄養をたっぷり吸収し、夏までほったらかすと、もう手がつけられないほどに生い茂ってしまう。

 昨年は被後見人宅の庭の手入れは、計画的に出来なく、7月には背丈以上に伸びてしまった。これでは近所から苦情が来てしまう。あわてて、シルバー人材センターに依頼して草むしりをしてもらった。この時期の1回では、あの雑草の生命力には勝てない。9月中旬に2回目を行なった。

 本当は冬から小さな芽を丹念に取っておくと、春に出てくる雑草は少ない。しかし、今年は忙しく出来なかった。庭に立ってみると、たくさんの雑草が芽を出している。早く仕事にきりをつけて、草むしりをはじめたい。暖かい春の日には、庭で一日過ごしたい。
 
 一応、「庭仕事を」趣味にしている。庭の手入れは第一に草むしりにある。この時期は、しゃがんで小さな目を一つ一つ抜いていく。そうしていると、遠い昔の世界から、遙かな未来の世界までが、ゆったりと行き来していく。たくさんの人や、人との関係や、さまざまな風景や想い、夢や希望などが通り過ぎていく。この小さな庭の片隅で、一人で過ごす時間が、私になんとも至福の時をもたらしてくれる。

 庭には歴史がある。被後見人宅の庭を眺めると、長年ここで生きてきた歴史が感じられる。かって、どんな思いでこの庭に立っていたのか、庭は語ってくれる。ある被後見人の方は、施設から自宅にに外出すると、玄関に向かうのでなく、物置場からはさみを持ち出して、植木の剪定を真っ先にする。いや、これしかしない。このことは、限りなくここでの生活が豊かにあったことを語ってくれる。今も庭は、かってていねいな手入れが行なわれたことの痕跡を、惜しみなく残している。
  
 私たちは、平成7年から3年間余りは、庭一面にコスモスの花を咲かせた。それは、秋のやわらかい陽射しの中で、なんと美しかったことか。その後は、芝生を植え、庭の内側に柵をめぐらせて、ヘッセ(愛犬の)の遊び場に改造した。この柵を作るのも楽しかった。材料を買ってきて、一つ一つ穴を掘り柱を立てて、最後には白いペンキも塗った。ヘッセと私はこの庭で、よくサーカーボールやテニスボールで遊んだ。ヘッセはサーカーのブロックの名手であり、テニスボールをキャッチする名手であった。

 今年は被後見人宅の雑草採りは、年3回にしよう。1回目は一通り育ち終わる梅雨の前の5月、そして、梅雨が終わる7月、最後には9月下旬。


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2005.03.04

9-<1>雪の朝

 早朝から降り始めた雪は、午前10時の現在、しんしんと降り続けている。まだまだ、やみそうにない降り方である。東京の郊外に位置するこの地域でも、これほどの雪は珍しい。今、庭先の塀の上には、20センチ余りの白い雪が乗っている。

 妻によると、平成9年の頃、こんな風に積もった雪の庭で初めてヘッセとロックは、大はしゃぎで遊んだ。大格闘の末、体重が3倍もあるヘッセ(ラブラドールレトリーバーの雌)は、ロック(黒柴系統の雑種)に負けてしまった。この、戦いで2匹の上下関係は永遠に決まったとのこと。

 娘(3歳半)も、起きると大はしゃぎで窓辺に行って、真っ白い世界に「わーい」と歓声を上げた。

    妻:近所の庭にいる犬のあかちゃんは、寒くないだろうか? 
    娘:大丈夫だよ、だって、犬は庭かけまわると歌うもん。

        ゆーきや こんこん   あられや こんこん
              ふっても ふっても   まだふりやまぬ
           いーぬは よろこび   にわかけまわり
                  ねーこは こたつで   まるくなる
  
   私:ほらほら、そこの木の枝にも雪がたくさん積もっているよ、風に揺れてるよ。
   娘:ほんとだ、どうしてー 、木がダンス踊ってるみたいねー。

 午後には雪は止んで、きっと明るい春の陽光に輝くだろう。

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